ミヤモト アヤ   MIYAMOTO Aya
  宮本 文
   所属   専修大学  国際コミュニケーション学部
   職種   教授
発表年月日 2022/05/07
発表テーマ フラヌールとしての後期ミナ・ロイ サロンの華から街のゴミ拾いへ
会議名 日本アメリカ文学会東京支部5月例会
主催者 日本アメリカ文学会東京支部
学会区分 地方学会
発表形式 口頭(一般)
単独共同区分 単独
国名 日本
開催地名 オンライン
概要 英国生まれのMina Loy(1882-1966)は、ドイツやイタリアで美術教育を受け、その後詩作を始め、1910年代から20年代にかけてイタリアの未来派のサロンやニューヨークのモダニストたちのサロンで脚光を浴び、常に華やかな存在であった。しかしながら、ニューヨークを離れてパリに居を移し、そしてナチス・ドイツの脅威から1936年再びニューヨークのバワリーに戻ってきた時には、かつての華やかな交友関係をほとんど断ち、貧困の中で創作活動を続けるもほぼ忘れ去られていた。バワリーはその当時貧しい人々が住むエリアで、Loyは街でガラクタを集めながら(ごく少数のかつての友人を除いては)人知れずオブジェを作っていた。本発表ではバワリー時代に書かれた詩集Compensations of Poverty(1942-49)に収められた詩をいくつか取り上げ、Loyが匿名性を獲得することによって、光の当たらない忘却と閑却にある「月世界」に没入し、同時にその暗闇をランプのように仄かに照らす詩人・オブジェ作家として円熟していく様を見ていく。
 Loyの初期の詩はサロンでの自らの恋愛やセックスをスキャンダラスに冷笑するものが多く、生殖や母性、自己決定といったテーマがメインに扱われていた。一方、その頃からインダストリアル・デザイナーとしてランプシェードを製作・販売し、月のごとく隠れたものを照らしだすことに関心があったことがうかがえる。(Loyの4冊の詩集には「月の案内人」(Lunar Baedeker)という文言がタイトルに含まれている。)ここでは、Walter Benjaminが “Das Paris des Second Empire bei Baudelaire”(「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」、1937-38成立)においてフラヌールに重ねたもう一つのイメージである「屑拾い屋」(chiffonier/ragpicker)を援用し、Loyがフラヌール/屑拾い屋として匿名的な詩人の声を確立していったことを確かめたい。