タカク ケンジ   TAKAKU Kenji
  高久 健二
   所属   専修大学  文学部
   専修大学大学院  文学研究科
   職種   教授
言語種別 日本語
発行・発表の年月 2002/05
形態種別 学術書
標題 「楽浪郡と三韓」
執筆形態 単著
掲載誌名 すずさわ書店『韓半島考古学論叢』
巻・号・頁 249-280頁
総ページ数 32
概要 楽浪郡と三韓の墳墓編年と並行関係を基礎として、両地域の交渉形態の変遷過程について検討した。その結果、B.C.1世紀後半は三韓と楽浪郡との本格的な交渉の開始期であり、大楽浪郡の成立を契機として、三韓上位階層が楽浪郡に朝貢し、漢式遺物が三韓にもたらされたと推定した。A.D.2世紀後葉~3世紀前葉になると、公孫氏による帯方郡設置などを契機として、三韓との新たな交渉が開始され、三韓上位階層の墳墓で漢式遺物が再び増加することを明らかにした。このようにB.C.1世紀後半と、A.D.2世紀後葉~3世紀前葉は三韓上位階層が積極的に楽浪文化を導入しようとした時期であった。しかし、このとき三韓上位階層によって志向された文化は楽浪の上位階層によって大きく変容した漢文化であり、これらは三韓上位階層によってもさらに変容していった。このため、三韓の上位階層が楽浪郡の漢文化を強く志向し続けたのにも関わらず、三韓に形成された文化は漢文化と大きく異なるものになったと推定した。