タカシマ ヒロユキ
TAKASHIMA Hiroyuki
高島 裕之 所属 専修大学 文学部 職種 教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2008/09 |
形態種別 | 研究論文 |
標題 | 「有田・南川原山の陶磁器生産の様相-「上手焼物仕立候場所」となった窯場の成立過程について―」 |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 同成社『生産の考古学2』倉田芳郎先生追悼論文集編集委員会 |
巻・号・頁 | 439-453頁 |
概要 | 佐賀県有田町の南西部に位置する南川原地区は,1670年代にいわゆる柿右衛門様式の乳白手素地が完成した場所である。『皿山代官旧記覚書』に「南川原山儀上手焼物仕立候場所・・・」とあり,高級磁器焼成の窯場として知られている。この南川原地区古窯跡出土陶磁器の文様,および有田内での陶工の移動に着目し,その成立過程を考察した。すなわち17世紀中頃に成立した南川原の窯場で生産された皿をみると,継続される文様の様式とそうでない様式があり,継続される文様の様式は17世紀後半に基本的な文様の配置が規格化され,18世紀以降も同じ構成となる点を述べた。また従来いわれている「御道具山」の変遷の記録と南川原山の関係は,「鍋島様式」の製品の変遷と切り離して考える必要があり,南川原地区では「御道具」の注文を受けることの可能な陶工集団の存在が大きい点を指摘した。そして鍋島藩窯のある大川内山と南川原山は,同じ時期に内山地区の技術を基礎として分化し,その並列の流れが後世には直列の流れとして認識され,変遷の記録として現在に至り,定説化された可能性を推測した。 |